あさが来た|普通の母親を欲しがる千代!広岡亀子はどうだった?

 

朝ドラ『あさが来た』では、あさは念願の銀行の開業のために

多忙な日々を送ることになります。

 

これに加えて五代友厚から北海道での新事業の話も持ち込まれますから、

輪をかけて忙しくなります。

 

しかしこれによってもっとも煽りを受けてしまうのが、一人娘の千代です。

 

まだ千代も母親に甘えたい盛りですから、この気持ちはわかりますよね~

あさも事業への意欲千代への愛情の板挟みになってしまいます。

 

とは言っても、加野炭鉱の事故以来、加野屋の収益は減っているはずですから、

これを何とかしなければ再び加野屋の経営は傾くことになります。

 

あさにとっては母親不在で寂しがる千代の気持ちは百も承知といったところですが、

子育てのために十分な時間を割くことが許されない状況でもあります。

 

ところで千代のモデルは、広岡浅子と信五郎の一人娘の亀子です。

 

ドラマ内ではけっこう大きなテーマとなりそうな仕事と子育ての両立ですが、

浅子と亀子の場合はどうだったのでしょうか?

 

 

コンテンツ

普通のお母さんを欲しがる千代!広岡亀子はどうだった?

 

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まず前提として、当時の広岡浅子はドラマのあさと同じように、

いやそれ以上に多忙な日々を送っていたと思われます。

 

当時の加野屋の経営のかじ取りは浅子と義弟の正秋が担っていましたが、

九州の潤野炭鉱へ行ったり、東京へも行っていました。

 

また浅子はここぞという場面では、三井家の義兄の三井高喜(今井忠興のモデル)に

相談することが多かったので、東京へは頻繁に行っていたと思われます。

 

東海道線が大阪東京(新橋)間で全通するのが1889年(明治21年)ですが、

それでも片道20時間余りかかりました。

 

しかも東海道線の全通は加島銀行が開業した翌年のことですから、それまでは

四日市経由で海路で東京まで向かっていたと思われます。

(当時のもっともポピュラーなルートだったようです)

 

とすれば片道2日間あまり要したと思われますので、

移動だけでもかなりの時間がかかります。

 

当時の浅子はまさに東奔西走していたわけですから、

ゆっくりと家にいる時間はなかったはずです。

 

では広岡亀子はどうだったといいますと、資料はほとんどありませんが、

ドラマとはかなり状況が異なりました

 

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と言いますのは、亀子の育児は信五郎の妾の小藤(ふゆのモデル)がおこなっており、

さらに小藤には信五郎との間に3人もの子供がいました。

 

つまり亀子には言わば母親が2人もいる状態で、しかも母親は異なりますが

兄弟も3人いたのです。

 

広岡亀子

(広岡亀子)

 

また小藤が多忙な時には信五郎が子守をしていたことを示す資料もありますから、

ドラマの千代のように寂しがったり、普通の母親を欲しがったりはしなかったようですね♪

 

このあたりの詳細は不明ですが、原案本の「土佐堀川」にも浅子が子育てで悩んだり、

逆に亀子が母親に不満を持ったりする描写は一切ありません。

 

※しかも亀子は浅子とは性格が対照的ながら、

人柄がよく誰にでも好かれる女性に育ちます。

 

なので『あさが来た』のあさと千代を巡るエピソードは、

ドラマオリジナルの可能性が高いと言えます。

 

ドラマでは成長した千代は、両替商を辞めた父に不満を持つ

はつの長男の藍之助と意気投合します。

 

それと並行して、あさと同じようにはつも母親として悩むようになります。

 

今後いかなる母親たるべきかを巡っては、人間ドラマも大いに展開されそうなので

楽しみですね~

 

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